“遊言夢言”
 この<遊言夢言>というコラムは1984年に『環境ジャーナル』の前身である『新政経情報』を発行した時から“仕置人”草野洋が『朝日新聞』の<天声人語>を真似て書き続けてきたもので、早や22年になる。
 さまざまな世の中の“出来ごと”に対してきわめて感情的に思いを吐露してゆくもので客観性に乏しいかもしれないが“仕置人”のストレス解消法と解し、ご寛容に願いたい。
“便利が文明か” 【06/12/01】
◆もう100年も前の話だが、栃木県の渡良瀬川鉱毒事件で国と闘った田中正造は、この問題で明治天皇に“直訴”までした人物。田中正造は「世界人類の多くは、今や機械文明と云ふものに噛み殺さる。故に悪器を制し、悪具を運転し、悪意を持って悪機械を適用する。対手に当りて、多くの勝利を得る方法の学問を為すの必要ありて、(中略)今は汝の製する機械を以、汝ぢ自身其機械に噛まる。文明とは、之等の悪器をさして云うの時代とはなれり。」 ◆かつて評論家大宅壮一は、テレビ時代に入る頃<一億総白痴化の時代>と言った。“仕置人”は<一億総猫背症候群>と今のケータイ電話時代を称しておこう。近年、携帯の機能は小さなパソコンのように進化した。パソコンを操る孫たちの指の動きは“手品師”に見えることがある。ごちゃごちゃとキーボードをさわったと思ったらもう長い文章が打ち込まれている。 ◆電車を待つホームでも、その半分はうつ向いてケータイ電話のボタンを押している。電車が来ても、うつ向いてメールを打ちながら乗る。人とぶつかりそうになってもケータイから目を離そうとしない。歩きながらだってケータイを見つめている。渋谷のハチ公広場だって、新橋のSL広場だって、みーんなうつ向いてケータイを見つめている。ケータイでテレビもネットも見れるようなっただけに、みーんなネコ背になりやしないかと思うのは老人のとり越し苦労か。 ◆むかしは娯楽と言えば映画か百人一首。いまは家庭にはいれば、いくつものテレビ局が番組を流している。ゲームやネットで自己陶酔できるから、他人には無関心、家族のコミュニケーションは希薄になった。相手と直に話すこともなく、外へ出てもケータイと睨めっこ。風景も目に入らないし、空の壮大さを感じる心さえ鈍くなっている。文明は行き詰まり、もはや手抜きを便利と呼んでいやしないか。100年も前に田中正造が警告したように、いまの人間たちは「機械文明に噛まれている」のかもしれない。

“ブッシュ大統領 【06/11/28】
“核論議” 【06/11/26】
“愛煙家” 【06/11/10】

2004.10〜2005.3 過去ログ
映画<北の零年>と “金権弁護士 【2005/03】
そしてどうなるの“日本列島 【2005/03】
憎しみは憎しみによって償えるのか 【2004/11】
職場の受動禁煙賠償命令 【2004/11】
<華氏911>が教えてくれたこと 【2004/10】

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