この<遊言夢言>というコラムは1984年に『環境ジャーナル』の前身である『新政経情報』を発行した時から“仕置人”草野洋が『朝日新聞』の<天声人語>を真似て書き続けてきたもので、早や22年になる。
さまざまな世の中の“出来ごと”に対してきわめて感情的に思いを吐露してゆくもので客観性に乏しいかもしれないが“仕置人”のストレス解消法と解し、ご寛容に願いたい。 |
| “いじめ” |
【06/12/04】 |
| ◆いじめの報道をみていると、どうも「いじめる側」ばかりが悪とされていて「いじめられる側」には問題がないのかね、と思ってしまう。「いじめられて」“自殺”するってのは、「いじめたやつ」への復讐の意味もあるんだろうが、自分が死んでしまっては本当に“負け”だよ。“いじめられる者”には忍耐力が無さすぎないかい。“いじめる奴”が悪いに決まっているが、
“いじめる奴”は本来、臆病者なんだ。集団でいじめる原因は「赤信号、みんなで渡れば怖くない」ってのと同じで、一緒にやらなきゃ次は自分がいじめられるとか、みんなでバレないようにいたずらを楽しむとか、あとはマスコミの影響もあるだろうが、結局はそういう貧しい“心”を養った未熟な親と社会に大きな責任があると思うんだ。
◆多感な思春期だから無視されたり、いやがらせをされたら、そりゃ辛いだろうし悔しいだろう。だからといって“自殺”したら本当に“負け”なんだ。人間が生きていくってことは、いろんな意味で苦しいことが多い。しかし生き抜くことだよ。今はテレビドラマにしても推理ものは依然人気があるし「○○殺人事件」でなくても登場人物が死ぬ演出は多い。ゲームやマンガ、映画でも娯楽はみんな“殺人だらけ”だ。そして現実社会でも“殺人事件”が毎日のように報道されている。“自殺”したら“いじめた奴ら”が苦しむからか。違うね・・。
“自殺する者”は“いじめ”にあわなくても、社会に出てからすぐ生きることに絶望して“死を考える意気地なし”だろう。“自殺する”のではなく“見返してやる”という意地を持とうよ。
◆“仕置人”は戦後、樺太から引き上げてきて、岩手県や北海道と中学校だけで3回転校させられたんだ。背丈が低かったから、朝礼の時も教室でも列の一番前に並ばされたね。それに生活していたのは義姉のところで農家だったから、学校に行く前と帰ってからと野良仕事で、晩御飯の時は居眠りばかり。とても勉強どころではない。だいいち教科書が無いから、いつも隣の生徒のを盗み見るしかない。そして雨の日でも吹雪の日でも、学年で一番身体の大きな奴と一緒に6キロの坂道を登って帰るのだが、いつもそいつにカバンを持たされていた。
◆ある冬の日の学校からの帰り道、そいつは道をそれて雑木林に入っていった。そして誰かが仕掛けていったイタチ挟みに左足を挟まれた。右足は雪の中にズボリと入っていた。そいつは身動きがとれなくて「助けてくれェ」と泣き声。そこで“仕置人”は、「じゃあ、これからカバン持たせないか。オレを子分扱いしないか」と見おろしながら言った。すると「もうしないから」と哀願した。そいつはもう二度と“仕置人”にカバンを持たせたり“いじめ”はしなかったし、大人になってからも語り合って笑っている。 |
|