| 「強制連行は事実に反する」という衆議院議員西川京子 |
「国会議員になって4年、勉強すればするほど日本の戦後教育はおかしかったという思いにかられますよ」という書き出しに始まる衆議院議員西川京子(亀井派・九州比例区)の一文があるミニコミ紙に掲載されている。『中央ジャーナル』(2004年12月25日)に載った西川代議士の文章「先だって、大学入試センター試験に強制連行を正解とする問題が、事実と反する形で堂々と出題されました。大変な、大きな問題です」と憂慮しておられる。 ![]() この人、何がどう事実と反するのかは一行も書かずに、こうした文をモノにする度胸には“敬服”するしかないのだが、「私どもは“日本の歴史教材書を考える若手議員の会”を設立し、現在百名近くの議員が参加しています」とも記してある。昭和20年生まれの西川は60歳。「若手」とは聞いて呆れるが「強制連行」についてどういう事実認識をお持ちなのか伺いたいもの。太平洋戦争中に約4万人の中国人が、半強制的に日本に連れてこられ、過酷な労働を強いられた過去の歴史を記録した外務省の「報告書」が存在することを、1994年6月23日に当時のアジア局長川島裕が参議院外務委員会で報告している。 これについては外務大臣だった柿澤弘治も「多くの苦難を与えたことは誠に遺憾だ」と述べ、「強制連行」があったことを、政府としても公式に認めている。ここに掲示した「資料」は、20年ほど前に仕置人が入手していたものだが、実際には「焼却しなかった一部」として残存していた。 ![]() 山形県警が昭和21年に内務省に提出した中国人労務者の「報告書」 新橋の空地で3日間にわたって「燃やされた」と伝えられていた資料には、「強制連行」に係わった企業名が当時の名称のまま記されている。企業は「鹿島組」、「同和鉱業」、「野村鉱業」、「日本油化工業」、「三菱鉱業」、「三井鉱山」、「飛島組」、「西松組」など30社にのぼっている。 とくに「強制連行」で問題なのは、昭和20年6月、 秋田県大館市 の“花岡鉱山”の「鹿島組」作業所で、労働させられていた中国人が虐待に抗議して決起、418人の死亡者を出した「花岡事件」。資料の一部には<被害者鈴木仙一ハ坑ニ於テ稼働中の陳起昌ト折合悪ク同人ラ酷使シタリトノ理由ニ依リ陳起昌ハ同僚数名トトモニ数回ニ亘リ鈴木方ニ侵入シ暴行ヲ加ヘントシタルタメ鈴木ハ作業用、斧ヲ振リ回シ・・・>などの記述もある。 中国では入院していた“患者”まで動員したため、連行された中国人の人数が、日本に上陸した時よりかなり減っていたことから、途中で死亡したことを物語っている。そして「強制労働」の中で死亡した者は“栄養不良”“肺炎”“急性大腸カタル”“胃腸カタル”なども多く、“日射病”“熱射病”の死因も記されてある。 『中国人強制連行の記録(石飛仁著)によれば、死んだ同僚の死体を焼却するためリヤカーで運ぶ途中、その死体の足を缶切りで切ったギザギザのふたで削いで食べていたことや、日本人を襲って“一斉蜂起”したものの、憲兵に捕らえられ、首だけ出して生き埋めされてその上をローラーで引いていったことなどが"証人"の話として記されてある。 また、文芸評論家の臼井良見(故人)が、「ついに出た戦争文学」と評した『人間の条件』(五味川純平著)でも中国人に対する虐待が描かれている。 だからこそ仕置人は「七三一細菌部隊罪行陳列館」中国ハルピンで観せられたことに対して<遊言夢言>で「忘れられないだろうが、許し合う寛容さが必要だ」と話したことを書いた。 衆議院議員の大西京子が「事実と反する」と批判した根拠は何なのかを明確にしなければ、ただ無責任のそしりを免がれ得ない。 ![]() 「鹿島」との和解を伝える『朝日』(2000年11月30日)の記事 |
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