“因果応報”を見せつけられる「三井住友銀行頭取」の西川善文


“磯田イズム”の牽引車だった頭取の西川善文


 昨年8月30日から「三井住友銀行」の通年検査に着手した金融庁は、大手町の東京営業部でおよそ1ヶ月間を費やして資産検査を終えた。ところが9月下旬、旧「三井銀行」本店のあった日比谷の「三井住友」本店に乗り込んで検査に入った。

その本店4階の3室を占領し、40人の検査官が投入され、およそ3ヶ月間の検査だったという。

金融庁の検査の狙いは、旧「住友銀行」の“融資第三部”が処理してきた「不良債権」の実態解明にのり出した、というのがもっぱらの噂。

1985年、旧「住友銀行」が旧「平和相互銀行」を吸収する直前、旧「大蔵省」銀行局は、銀行局長吉田正輝の陣頭指揮のもとに、同年8月末から10人の検査官を動員、異例ともいえる5ヶ月間にわたる長期検査を実施した。


 この検査で「大蔵省」は「平相銀」の不良債権を『朝日』にリークし、当時1兆2000億円だった預金が8000億まで減少した。

 そこで「体力がなくなったから、どこかと合併しなければダメだ」ということになり、「住友銀行」が、間発を入れず手を上げ、「平相銀」の100余りの店舗を掌中にした。時の「大蔵大臣」は故竹下登で、竹下と“住友の天皇”といわれた故磯田一郎はじっ懇の間柄だった。

 また、「銀行局長」吉田正輝は「近畿財務局長」時代から大阪北新地のクラブなどで「住友銀行」に接待漬けにされていた人物で“謀略的”に「平相銀」は「住友銀行」に呑み込まれていった。

 このプロセスのなかで「40億円金屏風事件」がからみ、「川崎定徳」社長の佐藤茂が「平相銀」オーナー一族の株34パーセントを取得していた。しかしこの株取得の資金は「住友銀行」から旧「イトマン」、そして佐藤茂に流れていたもの。

 「住友銀行」と「平相銀」合併の立役者となった佐藤茂は元ヤクザ。「住友銀行」に恩を売った佐藤がらみの“情実融資”が8000億円ともいわれた。ちょうどこの1985年から3年ほど、「三井住友」現頭取の西川善文は、不良債権処理の現場から離れるが、86年の「平相銀」と「住友銀行」が合併し、「イトマン事件」が発覚したあとの'91年、再び「融資第三部」担当専務取締役として戻ってきた。

 「向う傷を問わない」という“磯田イズム”の磯田一郎の面接を受けて入行した西川は、'6年3月に、磯田と佐藤茂らに関わる不良債権の回収に積極的にのぞんだが、嫌がらせや発砲事件が多発、ついに名古屋支店長射殺事件が発生、担当行員は恐怖におののいた。

 そこでこれらの不良債権を一掃しない限り行員の志気に悪影響を及ぼし、難局をのり切れない、との西川らの認識から、'98年3月期決算でも1兆400億円余りの不良債権処理を行った、という。旧「住友銀行」のこうしたバブル崩壊後の不良債権処理の累計額は3兆円を超えた。66歳になった「三井住友」頭取の西川善文は、金融庁主導の「東京三菱」と「UFJ」の合併に横ヤリを入れ、「UFJ」に対して“敵対的M&A”も辞さないと公表した。

 しかし、権力をカサに金融庁は、いま西川を潰しにかかっている。かつて「検察」、「大蔵」、「国税」、「政治家」を抱き込み、わが世の春を謳歌したが、バブル期が去り、古い体質の“抵抗勢力”を排除しつつある小泉政権のもとでは、豪腕の西川善文が"裸の王様"になりつつあることだけは確かで、「平相銀」を謀略的に"乗っ取った"ことから"因果応報"という言葉を噛みしめ、磯田一郎のような哀れな末路を辿らないように、そろそろ西川善文は引き際を考えた方がいい。

 昨年8月30日から「三井住友銀行」の通年検査に着手した金融庁は、大手町の東京営業部でおよそ1ヶ月間を費やして資産検査を終えた。ところが9月下旬、旧「三井銀行」本店のあった日比谷の「三井住友」本店に乗り込んで検査に入った。その本店4階の3室を占領し、40人の検査官が投入され、およそ3ヶ月間の検査だったという。


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