| 警察をけしかけて逮捕!「東邦マッサージ」を“乗っ取った”不良経営者 |
大田区西蒲田7丁目 に「協和マッサージ」がある。 この「協和マッサージ」の現在のオーナーは“中條臣彦”といい、「祐気堂」(世田谷区 千歳船橋)、「馬車道本院」(横浜市)、「安天堂」(町田市)、「テクノ整体院」(新宿区若松町)、「よよぎ整体センター」(渋谷区千駄谷)をグループ傘下におさめている。 この“中條”は栃木出身で、親は歯科医院を経営していたが、父親が経営していたクリニックを“食いもの”にして勘当された過去があるという。その後東京へ出てバンドボーイやバーテン、ゴルフ会員券販売員などと転職をし、昭和63年に指圧マッサージ師の資格免許を取得したという。 そして 横浜市 内のマッサージ店に勤めたというが、その一つの店では、オーナーの弱みにつけ込んで、手切金として2000万円を脅し取ろうとしたという。 “中條”は、競馬とルーレット賭博が好きで横浜時代の後半には裏社会の人間から多額の借金をつくり、進退極まって妻とともに九州方面へ夜逃げをしたこともある、という。 こうした“中條”の行状は、「東邦マッサージ」を“乗っ取られた”I・Kの「陳述書」から引用したもの。 “中條”が「東邦マッサージ」に院長として勤務をはじめたのは平成7年8月だった。開業したばかりの「東邦マッサージ」は順調なすべり出しを見せ、同9年8月には「中目黒店」も開店、立地に恵まれて繁盛した。 この時点で「東邦マッサージ」各店に従事するマッサージ師は120名にのぼった。 ![]() 協和マッサージ “乗っ取り計画”の始動 店舗開店が順調に推進していた平成9年10月ごろ“中條”は「マッサージ師が足りないから整体師の養成所を作ってほしい。計画や実務は任せて下さい」とI・Kに申し入れた。 そこでI・Kは知人や友人から調達した1億5000万円で“中條”の試算した計画書を信頼し、「東邦学院」の母体となる「株式会社東邦」を設立、平成10年5月から宣伝活動に入り、6月から正式に“開校”した。 しかし“中條”が目論んでいた2ヶ月間に200名の入校者は5分1の40名という結果となり、その後は“中條”自身も1ヶ月に3〜4回「東邦学院」に顔を出すだけでI・Kが携帯電話に掛けても繋がらないことが多くなった。 このころ“中條”は裏社会の人間からの借金を返し、横浜のカジノクラブに再び出入りするようになっていた、という。そのあげく「東邦学院」の職員だけでなく、「東邦マッサージ」のマッサージ師の報酬も払えなくなっていた。 そんな中の平成12年2月15日に“中條”は「(株)東邦」取締役と「東邦学院」総院長を辞任した。そして間もなく、やっと“中條”と連絡がとれたが「今、みんなを集めて店を閉める話しをしてますよ」と電話口で笑っていたという。 “中條”はこうしてI・Kの信用を裏切りその後自分が従業員を救済する形にして新たに経営者として乗り出す、というシナリオを実行していった。 池袋署がI・Kを“詐欺容疑”で逮捕「協和マッサージ」の看板を掲げる平成12年3月2日に立合人のO・Kという人物に呼び出され、O・Kの事務所においてI・Kは“中條”と会い、半ば強引に「同意書」にサインさせられた。 それは3月5日300万、3月末日200万、4月末日250万、5月末日250万円を“中條”がI・Kに支払い、蒲田店や学芸大店を“中條”に経営権を移行するというものだったが、一度たりと実行しなかった。 「協和マッサージ」のパンフレットより I・Kは、あまりにも脅迫的だったその場の雰囲気に押されてサインをしてしまったが、2億数千万円もの「堂業権鑑定評価」のある店舗を1000万円を分割で受け取ることで明け渡すことはできなくて、後日“撤回”を申し入れ、名義変更などの手続きを実行しなかった。 すると3月4日には「東邦マッサージ」の看板が「協和マッサージ」に取り替えられていた。 その後、さまざまな嫌がらせやオドシがあり、同年5月4日には、“中條”が知人と共謀して警察権力を利用し、I・Kの“犯罪”をでっちあげた。この日、暴力団担当刑事6名がI・Kの自宅の家宅捜査に入り、I・Kは“詐欺容疑”で逮捕され、池袋署に連行された。 しかし、3日間だけの拘留で釈放されたが、「オーナーが逮捕された」というだけでマッサージ師の動揺は大きく、“中條”はまんまと“乗っ取り”を成功させた。「仕置人」がインタビューを申し込むと「あれは解決しているよ」と言って電話を切る。その後も電話やFAXで連絡をとってもナシのツブテ。 「中條よ、警察を抱き込んでの貴サマの行為は、その悪らつさにおいて希で異常。そんな貴サマがビルを所有し、京都に家を持ち、のうのうと暮らしていることは許さない」(仕置人) ![]() 中條臣彦 |
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