| ―シリーズ西武― 西武と堤義明の“悪業”を暴く <8> | |
公金をフトコロに入れる名人 政商という名にふさわしく、旧国鉄総裁十河信二の首根っこを押えた形の康次郎は、事業発祥の地でもある滋賀県の近江鉄道にも補償を求めた。 これは近江鉄道の“景色補償”で新幹線が通ると、7.5キロにわたって近江鉄道と平行して走るため、「近江鉄道の乗客の景観をさえぎるというわけだ。 その他「枕木が腐蝕しやすくなる」「乗務員に負担がかかる」といい、さらに「踏切り50ヶ所分」を補償しろというものだった。当時の現地に詳しい人は「そのころ田んぼのあぜ道はあっても、道らしいものは1つも無かった」というのに康次郎は旧国鉄から2億5000万円を取っている。さらに康次郎は、丹那トンネルのずり(岩石や土砂)捨て場となっていた3000坪を「寄こせ」と要求していたという。 この強欲な守銭奴のもとで、“帝王学”を叩き込まれた義明は、1934年生まれだから、新幹線用地問題のころは29歳。 すでに「旧国土計画(現「コクド」)の代表取締役であり、「西武鉄道」の副社長に就任していたほどだから責任者の一人といえる。その義明が、IOCを舞台に何をやったか、 川越市 有地のへんな等価交換、京都プリンスホテル建設、早大キャンパス所沢移転問題など義明が手がけた康次郎に優るとも劣らない“仕事ぶり”を述べる前に、いま少し康次郎の“悪業”を紹介しよう。 1985年ごろ、康次郎は「滋賀県民が森林公園を欲しがっている」といって県庁に自然保護協会を設立し、裏では知事と結託して西武所有地を候補にあげる。 その一方で影響力を行使できる『京都新聞』などを使って「森林公園が必要だ」というキャンペーンを展開させる。一方では県議会工作をおこたりなく成し遂げる。なにせ滋賀県は、共産党まで西武資金に毒されていたといわれ、あとは時間の問題である。 こうした西武商法は他でも多くみられるが、その仕掛けが大きいのと、政官人脈をたくみに利用するために、一般市民には、容易に見抜くことはできないのである。 |
| [シリーズ西武の目次へ戻る] |
![]() |








