| ―シリーズ西武― 西武と堤義明の“悪業”を暴く <33> | |
“長野オリンピック”に便乗した義明の野望 |
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![]() 当時の新聞記事 |
![]() 義明の“後任会長”古橋広之進 |
平成2年(1990)4月3日付で東京地検特捜部に1通の“告発状”が提出された。“告発人”は「コクド」(当時は「国土計画」)が軽井沢で進めていた“大日向ゴルフ場”の建設に反対する住民グループ「軽井沢・水と環境を守る連絡協議会」代表の岩田薫だった。 “告発状”の一部を抜すいする。 <(前略)・・・・昭和59年から長野県の軽井沢大日向地区に60ヘクタール、18ホールのゴルフ場建設計画を進めてきたものであるが、昭和63年4月、グループ企業西武建設株式会社を使って、国土利用計画法第47条の3に該当する虚偽の申請を行い、ゴルフ場計画地区内の2件の土地を取得した。(中略)・・・・地権者20人から土地売買に関わる承諾書を取ったものであるが、国土利用法第14条に定められた長野県知事の許可を受けておらず、また15条にうたわれた申請書を県知事に提出してもおらず、従って同46条ならびに47条の1の処罰の対象になると考えられる。(以下詳細説明)>と冒頭部分に記されてある。 そして“第一事実”の項には<・・・・・2件の土地とも、昭和63年4月20日の売買に先立ち県知事に届出がなされたが、申請の利用目的の横に「西武建設の保養所建設のため」と記載されていた。(後略)>検察関係者の証言によれば、「岩田氏は最初贈収賄で堤氏と吉村知事を告発する文書を持ち込んできた。 しかしそのままでは立件は難しい。特捜部もあまりやる気はなかったね。しかし岩田氏の話を聞いているうちに、堤氏が国土利用計画違反を犯している、といい出した。堤1人に絞り、国土利用計画1本でやる、という。これは受付けないわけにはいかない。 そこで地検特捜部はかなり積極的になりました」と当時を語っていた。岩田が2度目の“告発状”を東京地検特捜部に持ち込んだのが平成2年4月3日。そこでマスコミ各社から「コクド」に取材が入った。その翌日の4月4日に義明は“滑降コース”が辞任の理由ではなく、検察に“告発”された「ゴルフ場開発での県知事への虚偽の申請」が辞任の直接的引きがねになったことは明らかだろう。 ![]() 当時の新聞記事 「西武のための長野オリンピック」とか「西武の一人勝ちで、自治体には莫大な借金だけが残った」と言われた。その手口を列挙してれみると、1、新幹線 の軽井沢駅 舎は、当初、西武系のホテルなどが並ぶ南口には出口がない計画だったが、いつの間にか南口を作ってしまった。2、岩菅山に“滑降コース”を新設することに義明がこだわったのは、谷間の川を挟んだ対岸に“焼額山”という西武のスキー場があり、しかも山のふもとには「西武プリンスホテル」がある。 この山と対岸の山でオリンピックが開かれれば、客が押し寄せ地価も高謄するし、大きな経済的波及効果がある。3、地元の 山ノ内町 の全スキー場面積のうち、約半分は「コクド」が開発している。義明は、岩菅山そのものを開発していこうという狙いがあった。4、義明の長野における“長野オリンピック王国”への野望の基本戦略は、首都圏からのアクセスの確保と、圏内拠点を横断に結ぶルート造りだった。そこでオリンピックに便乗して、西武のリゾート開発地を結ぶ道路整備を国にさせる。 オリンピック開催は、その絶好の口実となる。5、冬季オリンピックを機に、「志賀高原プリンスホテル」の中ほどまで“オリンピック道路”ができたという。つまり、長野〜「志賀高原プリンス」間と、軽井沢〜「志賀プリンス」間の路線である。 ![]() 軽井沢の72ゴルフ場 こうして義明は、公的ポストを利用して、旭川、盛岡、山形なども冬季オリンピック開催地として名乗りをあげていたが、88年1月の「JOC」総会で“決定”する2日前に「全日本スキー連盟」の「秘密会」によって「長野支持」を決定、公表した。 義明は当時「全日本スキー連盟」会長だった。開催地を決定する人物と、そこで儲ける人物が同一人物だったわけである。 |
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