| ―シリーズ西武― 西武と堤義明の“悪業”を暴く <32> | |
初めて味わった長野“滑降コース”での挫折 ![]() 「JOC」会長辞任の記者会見('90年4月1日) 平成10年(1998)の冬期オリンピックの長野招致に絡んで、上信越高原国立公園内の志賀高原・裏岩菅山に計画していた“滑降コース”の建設を、JOC会長の堤義明が断念したのは平成2年4月4日だった。この“滑降コース”の建設に関しては、国内の自然保護団体が「自然破壊だ」として軒並み反対を表明した。 また、「IOC」(国際オリンピック委員会)にも働きかけるよう上部団体に要請もしていた。98年冬期オリンピックの開催地は、平成3年(1999)6月に、英国のバーミンガムで開かれる「IOC」の総会で決まることになっていたが、「IOC」会長だった義明の“断念”によって障害が取り除かれたといわれた。そして同年4月11日、義明は突如「IOC」会長辞任を表明した。それは辞任以来わずか8ヶ月という短いものだった。 ![]() 挫折した“滑降コース”の近くにプリンスホテルが ところが、この当時義明は、米大リーグ買収をブチあげ、また「JOC」での公私混同ぶりが関係者のヒンシュクを買っていた。例えば「JOC」会長の秘書を、自分の会社の「コクド」に置き、何かというと幹部を呼びつける。人事も完全なワンマンで、有無を言わせず決めてしまう。 さらに、「JOC」(日本オリンピック委員会)などの行事は、西武のプリンスホテルで行うし、まるで公私のケジメがない。「長野冬期五輪招致委員会」の名誉会長だった義明は、スキーのメッカといわれ、22ヶ所ものスキー場が乱立する志賀高原の中で、岩菅山はただ一つだけスキー場のない登山対象の山として親しまれ、特別天然記念物のニホンカモシカが生息し、ユネスコの「MAB」(人間と生物圏研究)計画の生物保護区に指定されるほど世界的に貴重な自然が残っているところだった。 ![]() 義明の“会長辞任”報道 自然保護団体の関係者は「私たちは自然と調和したオリンピックを招致しようという立場。自然の宝庫、最後の聖城をつぶしての岩菅山開発が堤名誉会長の目的だった。スポーツを自らのビジネスに利用するような人がJOC会長にいるべきでないと考えていたので、辞任は大歓迎です」とか「地元には何の相談もなし。初めから堤さん一人で勝手にやってるんですよ。(辞任は)企業イメージのダウンを恐れてただけでしょう。 県民はバカにされてますよ」と怒る県民が多かった。要するに義明は“長野オリンピック”に便乗させて“滑降コース”を新設してスキー客を呼び、近くの「プリンスホテル」に宿泊させる魂胆だった。しかし、“義明辞任”の理由はこれだけだったのだろうか。 |
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