―シリーズ西武― 西武と堤義明の“悪業”を暴く <26>

「IOC」で実力つけた猪谷千春

 米大統領のブッシュによるイラク攻撃で、フセインらしき銅像が、網で引き倒される映像がテレビで何度も視せられたが、現在の堤義明の現状は、これと見ごとに重なり合ってしまう。

 義明は今週中にも“堤義明逮捕”の見出しが一面トップ記事に躍りそうなこのごろだが、まさに“堕ちた偶像”。かつてはスポーツ界に君臨し、スポーツを見事に事業に結びつけていた。そして前項でも記したように、猪谷千春を「IOC」委員にすることでこれを背後でコントロールできる立場となり、国内でも「体協」(日本体育協会)副会長、「日本アイスホッケー連盟」会長、「全日本スキー連盟」会長などに就任し、アマスポーツ界のドンとなった。

 そして一方の猪谷も、義明のバックアップで、日本を代表する「IOC」の顔となった。昭和59年にイスタンブールで行われた「IOC」の総会で、「IOC」の理事に当選、あまりに早い“出世”に「IOC」のある幹部は「ホー。猪谷はサマランチ会長によほど気に入られているんだねえ」と感嘆したというが、そのバックには義明の“資金力”がモノを言っている。


義明の“虎の威”で「IOC」委員になった当時の猪谷千春

 その猪谷の第一声は「90年(平成2年)に東京で開くオリンピックコングレスを成功させたい」といものだった。これは、いわば“五輪全体会議”というべきもので、オリンピックの将来像を明確にする討論会として「IOC」が最重要視している会議。

 猪谷はこの会議の責任者となったが、10億円はかかるだろうといわれる開催費用の中で義明は「プリンスホテルは最高級の部屋を会場として提供する」と言ってバックアップした。そうした義明のバックアップによって猪谷は、たった数年で「IOC」を動かすほどの地位についたわけだが、いくら英語が堪能だからといっても、「JOC」のメンバーにも入っていなかった猪谷の異例な“出世”だった。これだけではない。

 この前年の58年には、「冬季オリンピック立候補都市調査団長」というポストにも就いていた。その役割は、いわゆる冬季オリンピック候補地へ行き、その都市の“長所”と“短所”を調べて「報告書」を提出すること。「IOC」は、この「報告書」を基に開催地を決定するわけで、猪谷が「IOC」の中で、いかに大きな権限を持っていたかがわかる。

 猪谷はサマランチ会長だけでなく、次期会長の呼び声が高かったカナダのパウンド副会長にも気に入られていた。こうして平成10年(1998)の冬季オリンピック開催となるわけだが、日本では、4つの都市が候補地として名乗りを上げたが、そのうちのどこへ決まろうとも西武系のスキー場やホテルを使うことになってしまうのだった。( この原稿を校正していた3月3日に堤義明が逮捕されました。)

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