| ―シリーズ西武― 西武と堤義明の“悪業”を暴く <22> | |
旧「鉄建公団」総裁に「仁杉」を送り込んだ義明の“深謀遠慮” 1979年10月23日、「西武鉄道」副社長だった仁杉厳が、いきなり旧「鉄建公団」(現鉄道建設・運輸施設整備支援機構)総裁に就任した。当時の運輸大臣森山欽次は「堤さんという人は若いがなかなか立派な人ですよ。仁杉さんを鉄建公団の総裁に欲しいと言ったら、即座にOKしてくれたからね」と義明をべたぼめだった。 「堤さんは、見ちゃおられないと言ってね・・・。国民感情を表わしているじゃありませんか」と森山は義明の快諾ぶりを手離しでほめた。「前例を見ない悪質な事件」と会計検査院に言わしめた「鉄建公団不正経理事件」の、約4億円にのぼる不正経理とは、カラ出張での浮かし金を分配したり、接待や飲食に使ったというものだったが、不正経理の事実を会計検査院が発表したことから運輸大臣の森山が、総裁の川島ら5名を更迭したものだった。 その直後“仕置人”がインタビューした時のコメントだった。仁杉は、1938年東大土木科を卒業して旧「国鉄」に入り1965年に理事となり、43年4月退社で「極東鋼弦コンクリート」へ取締役として入社した。そして'71年に「西武鉄道」に専務として迎え入れられた。'73年には副社長となり、運輸を担当していた。「西武鉄道」の創立者である堤康次郎が、「西熱海ホテル」を「旧国鉄」の補償で建てたことは、このシリーズの最初の方で記したが、その時「仁杉さんは、西武にプール付きの家を建ててもらったのさ」と耳打ちしてくれた代議士がいた。 確かに仁杉は1959年には名古屋新幹線工事局長から1962年には東京新幹線工事局長として“新幹線”に係わっていたことから康次郎の何らかの“要望”に応じたことは間違いない。「鉄建公団」総裁に就任して6年ほど経った仁杉は、「85年3月、家族が経営する「イワオ鉱業」という会社が、「国鉄」発注工事の下請けをしていたことが国会で問題となり、4月には“総裁辞任”が当人の知らないうちに公表された。 「鉄建公団」は「赤字の国鉄に代わって新線を建設するため」に設立された公団で、職員は、3,300人だが、ご多分にもれず国鉄職員の恰好の天下り先となった。「西武は個定資産税を払いたくないから一部の鉄道敷地を鉄建公団名義にしているらしいよ」という関係者の言葉が、20数年たった今でも“仕置人”の喉に刺さった小骨のように気になっている。 ちなみに「支援機構」に対して「西武鉄道」は、まだ720億円の“未払金”がある。これは“25年元利均等半年賦”で半年に一度ずつの割賦払いとなっている。 ![]() 総裁就任直後のインタビュー。手前は仕置人(1980年4月) |
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