―シリーズ西武― 西武と堤義明の“悪業”を暴く <2>

“宮様”土地収奪の手練手管


 「西武鉄道」のある役員は「義明さんは太陽で、あとはみんな石コロだよ」と言った。お茶を運んできた女性秘書は、床にひざまずいて差し出す。

 西武が開発した“鎌倉霊園”には、毎年元旦にはグループ幹部500人が、先代の墓前に手を合わせる。そして「感謝奉仕」の社是を引き継ぐと称して西武グループの「奉仕当番」だ。これは西武グループの誰かが、毎日2人か3人で墓地の横にある休憩所に泊り込む。各自手弁当でこの墓地に出勤して清掃する。

 これは狂信的な宗教団体のようなもので、義明のこうした前近代的な君主制は何によって培われたのだろう。'92年に、“持株会社”といわれる「コクド」が、名門の「川奈ホテル」の経営を引き受けた。周知のように「川奈ホテル」には“富士コース”と“大島コース”のゴルフコースがあり、毎年フジサンケイクラシックが開催される。一泊してワンラウンドまわると1人7万〜9万円。

 凋落傾向にある義明の「コクド」が、なぜ「川奈ホテル」に手を出したのかといえば、「川奈ホテル」は名門大倉財閥系で「先代康次郎そっくり」の義明は“宮家”とか“華族”“名門”に異常な執着心を見せる。旧財閥の岩崎小弥太(三菱財閥)の持っていた伊豆長岡の別邸を先代康次郎は、調査もしないで言い値で買い取った。(『西武王国』中嶋忠三郎著)

 また、北白川家の約4万平米の高輪の土地は衆議院議長に就任した2ヵ月後に“西武のもの”(所有権登記は26年後)にしている。
 そしてここには「新高輪プリンスホテル」を建てた。戦後の皇室離脱によって民間人となった“宮家”は、税金で持ちこたえられずに、やむなく“物納”していた。
 国は、この土地の一角を衆議院議長公邸として使用していたが、先代康次郎が衆議院議長に就任するや、北白川家の執事を抱き込み「高輪に家を建てて戻りたいから、物納した土地を返してもらいたい」と衆議院議長あてに返還を訴えさせた。
それを受理する側だった康次郎は、衆議院議長の立場を利用して処理させた。

 明治天皇は「北白川の宮」「竹田の宮」「東久邇の宮」「朝香の宮」のそれぞれの皇女に約4万坪の土地を持参金として4つに分けて下賜されたものが、「目黒迎賓館」「品川のパシフィックホテル」「赤坂プリンスホテル」「高輪プリンスホテル」などの土地で、「東久邇の宮」のパシフィックホテルの土地は、故河野一郎と故大野伴睦に邪魔されて、建設する目的を達することができなかった。

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