―シリーズ西武― 西武と堤義明の“悪業”を暴く <16>

“インチキ鑑定”を評価した川越市と裁判所

 川越市 が「西武鉄道」から買い取った土地は、第2次大戦中に「東武鉄道」と「西武鉄道」の平行していた二つの鉄道を結んで軍事物資を輸送する、という軍部の命令で市が斡旋し、地権者から国に接収された土地だった。

 この土地は、幅14メートル、全長294メートルという帯状の廃線敷で、それを戦後になって先代康次郎が地権者から買収し、長年放置されていた裏側で間口が狭く、奥行きの深い、整形されていない雑種地。金子良雄が、拙著「西武商法悪の構図」を読んで仕置人に協力を求めてきたことから、現地取材に入った。ある元地権者は「一家の柱である亭主が、まだ戦地から帰ってこないのを幸いに、家を守っていた主婦をダマし、印鑑を押させて安く買い取ったんです」と言う。

 もう1人の元地権者は「あれはレールと枕木の払い下げをうけた西武が、土地を国から譲渡されたようによそおって取得したものだと母から聞いてます」などで、「西武鉄道」が正当に取得したものでないことがわかった。こうした"西武商法"でダマされた主婦O子さんは、主人が復員してきて猛烈に叱られたことから、戦後3年目の1948年9月2日に西武線の踏切りに飛び込んで自殺した。康次郎はさすがに気がひけたらしく、このO子さんから買い取った土地を無条件で返還したとはいうものの、死んだ主婦の生命はよみがえらない。

 一方、 川越市 が「西武鉄道」に売却した土地は、川越駅西口から150メートルの距離の一等地で真っ平の駐車場になっていた。この売買をよそおった"等価交換"の価格評価については、浦和地裁で「日不研(財団法人日本不動産研究所)」が行った鑑定評価結果に基づくものであるが、同研究所は建設省が推奨する鑑定業者で、市も従前から同研究所に多数の不動産鑑定評価を依頼してきた・・・と、この鑑定が公平なものであることを疑っていない。また、先の市の監査委員会でも「この価格算出に当たっては、法に基づく不動産鑑定士の評価格を採用し、客観的にみても妥当な額としたものであった」と述べていた。

 しかし、この鑑定が極めてインチキだったことがわかるのである。「市から西武の土地の鑑定を依頼されたとき、いいところだけ鑑定するように頼まれた」と鑑定士から聞いたことがあるという市議に話を聞いた。「確かに昨年3月ごろだったか、鑑定士の徳山(仮名)さんが来ました。"あのうなぎの寝床のような西武の土地の頭の方だけ鑑定するように開発部長に言われた"といい、紙に図を書いてましたが、別に来客があり、徳山さんはそれを慌ててポケットに入れてましたよ」と答えてくれた。

 そこで同市喜多町に住む鑑定士の徳山に取材の電話を入れてみたところ、入院していたことや、前年3月ごろ前出の市議を訪れたことも認めた。―開発部長から西武の土地の鑑定を依頼されたとき、特定の場所を指示されたんでしょうか。「そう、指示されました」―いつごろですか。「私が退職したのは昭和55年でしたから、それより少し前だったかな。いまの自転車を置いてるところ・・・」―「駐輪場が建ってるところですね」「そう、そこだけ鑑定すればいい、とね。その時西武の人も一緒だった。私は、西武からの仕事で飯能やいろいろ依頼されてたからね。あの時は、市と西武の取引の話が前から決まってたようでしたよ」この取材のとき、「徳山さん、 川越市 民のためにも、本当のことを話して下さい」と言ったせいか、途切れ途切れの声で話してくれた。

 「前立腺不全で入院してたんで、電話に出るものやっとなんで、もうかんべんして下さい」と徳山は電話を切った。金子良雄は代理人も立てずに東京高裁まで争ったが、東京高裁は再鑑定を拒否した。80歳を過ぎていた金子が、裁判官に向って「バカヤロウ」と叫んだ声が耳底に残っている。


「西武鉄道」と「川越市」の売買契約書

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