| ―シリーズ西武― 西武と堤義明の“悪業”を暴く <10> | |
一生涯“悪業”の限りをつくして死去 シリーズの冒頭の方で述べた“東海道新幹線 横浜駅 予定地”の先行取得によって25億円の投資が2年間に200億円で旧国鉄に売りつけた件でも明らかなように、政商堤康次郎は、国民の共有財産や公金を自分のフトコロに入れる錬金術士としては人後に落ちなかった。 とくに旧国鉄総裁十河信二に恩を売ってからの旧国鉄へのゴネ得の成果は前述した通りだが、旧国鉄とのゴネ得はまだあった。康次郎は早くから池袋の開発に注目し、西武池袋駅と西武鉄道、そして西武百貨店の三つを総合的に一体化する必要があると考えていた。そこで、西武百貨店の改装計画に着手した。 借地として旧国鉄側から借りていた土地を西武百貨店は「一年契約なのだから一年で返還せよ」といってきた。これが裁判ざたとなり、裁判所から和解勧告により、旧国鉄は「一坪85万円なら売却してもよい」ということになったが、康次郎は「高すぎる」と言い「坪8万円」を提示した。 そのうち裁判所の提案で、一坪22万円ということだったが、康次郎は「15万円なら応じよう」と値切った。しかし、和解に応じなければ、改装中の部分を「仮処分」をかけられて撤去されかねないことから、結果的に一坪22万で決着したのだが、康次郎はここでも国民の財産を食いものにしていた。 この他にも「中島飛行機」の10万坪買収と売却による暴利。滋賀県大津の「繕繕刑務所跡地払い下げ」、「巣鴨刑務所跡地払い下げ」などにより莫大な利益を得ているが、その手口は、時には強引、時には巧妙にと変幻自在に手法を変えていった。康次郎は、1960年の衆議院選挙で辛うじて最下位当選だった。 したがって63年の衆議院選挙では相当な危機感も持ち、なりふり構わず選挙区内の顔役の買収に出た。この“金権選挙”が効を奏して、2位の宇野宗佑を7000票近く引き離して7万8300票余りを得票してトップ当選。ところが、選挙違反史上最高の103人という逮捕者を出してしまった。 そして康次郎は1964年5月18日の初公判前の4月に74歳で他界した。この違反で検挙された者は237名、起訴された者120名、有罪が100名、無罪が5名、病気で審理が停止した者3名、病気で公判棄却が12名など。 その内訳は驚くなかれ市の選挙管理委員長から市教育長、市町村長が9名、県議6名、前・元県議8名、市議22名などの地方名士がぞくぞく顔を揃えた前代未聞の選挙違反事件だった。 巨万の富を築き、衆議院議長という輝かしい栄誉は、滋賀県民にとっても誇りであるのに康次郎は「県史」に残されなかった。 |
| [シリーズ西武の目次へ戻る] |
![]() |








