<日・韓腐蝕の墓標>六本木「TSK.CCCビル」

幽霊会社が252億円で約50%を落札した「TSKビル」の敷地

 この「TSK.CCCビル」(東亜相互企業)は複雑に権利関係が入り乱れている。その中で今年3月に「メデシン中村」(茨城県・佐藤敏之社長)という資本金300万円の会社が252億5000万円で約600坪を“落札”した。茨城県の資本金300万円の会社が252億5000万円の資金を調達できるわけはなく、あくまでダミー会社。

 これに「辰能」(千葉県・小川哲史・ジェームズキーホーの2人代表)という資本金300万円の会社と「トラストインベストメンツ」(東京都江東区・三好浩一郎社長)らが参入した。ところが「トラストインベストメンツ」らの資金調達はままならず、7月27日の最終期日になってやっと払い込んだ。

 しかし“落札”あとの所有権者は「有限会社アーバン開発」となっている。「メデシン中村」で“落札”しておいて「メデシン中村」という会社を4月13日に閉鎖、「都市アーバン開発」に社名変更して代表者も圓藤信好の名義に変わっている。

六本木「TSK.CCCビル」の一部


 さらに現地には「都市アーバン開発」の看板はなく、そのマンションの所有者は「双海通商」(東京・浅井健二社長)という会社になっている。

 その理由は、元の「TSKビル」所有者の町井久之が他界した後、大学を出たばかりの息子が遺産相続したことに目をつけ、この「双海通商」が息子に2億円を払って、今回“落札”された部分を“所有権移転登記”してしまったからだ。「双海通商」は、4つの銀行から競売申立されていることなどお構いなしで“所有権移転登記”をしてしまった。
「まるで白昼強盗だね」と関係者は呆れ顔でいたが、平成16年の2月ごろ息子の債権者や暴力団が入り込んできた。

 1,200坪の約50パーセントは“落札”した。だが、残りの約50パーセント(30年間未登記)もまとめなければ“商品価値”が低いことから、“落札”した側が、今後どのような攻勢をかけてくるのか見ものである。

かつて町井が児玉に提供していた部屋(TSK.CCCビル内)

 そもそもこの土地は、戦後“銀座の虎”と呼ばれた町井久之の“居城”として六本木7丁目に建てられ、床面積9,000坪の豪勢な建物で、昭和48年のオープニングセレモニーには数千人が集まった。

 町井は暴力団「東声会」会長で、当時の日本と韓国のドロドロした人脈の象徴的な人物で、那須高原には132万平方メートルの土地を所有し、総合開発事業に着手。東京銀座と湯島に“妓生(キーセン)ハウス”と呼ばれた韓国料亭「秘苑」を経営していた。

 そして、“60年安保”の際、右翼結集の動きに呼応して右翼の大物児玉誉志夫と密接な関係を結び、その児玉を通じて岸信介、川島正次郎、大野伴睦らを知るようになった。
 また韓国においては、朴大統領のボディガード役だった朴鐘圭大統領警護室長の“弟分”といわれ、朴大統領自身にも信頼されていた。

 前述の“妓生”とは、韓国の古典舞踊や民族舞踊を披露し、芸能人として入国ビザを与えられていて、わが国の政府高官を“慰安”したりで、当時の法務省は苦々しく思いながらも、町井のバックには児玉や岸がいることから手が出せなかった。したがって朴大統領と敵対関係にあったのちの大統領金大中が日本のホテルから拉致されたとき、捜査当局が手を出せないでいた。

  
  町井も管理組合によって供養されている(TSK.CCCビル内)

 この「TSKビル」の1,200坪のうち300坪の土地には「韓国外換銀行」だけで540億円の抵当権が設定されていたが、平成14年に他界した町井の威光がいかに絶大なものだったか。その往時を偲ぶものは、ビルの入口に掲げられているネームプレートだけで、荒れ果てた様相は、“日・韓腐蝕の墓標”そのものといえるだろう。


往時を偲ぶネームプレート
町井の最盛期に発行されていた社内報
『EPOCH』 (昭和47年11月号)
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