<連載レポート> ―歪められた人権―
<第4回> 実弟による拉致監禁 (M子の「陳述書」)

 <1993年8月23日、私は話し合いをしようとして会社を訪ねたところ、弟が私に馬乗りになり、首を絞めて殺そうとしました。しかし弟は我に返り、涙を流して謝ってくれました。そして善処するから、私が婚約者のGと一緒に住んでいるKアームスに帰っているように頼まれました。1時間ほど経ったところで、今度は麹町警察署の山崎係長より電話があり、すぐに来てくださいと言われました。私はてっきり警察に、私を殺しそうになったことでも相談に行ったのかと思い、又、父が心配して、姉弟喧嘩の仲裁を頼まれたのかと。

 以前父に会わせて欲しいと弟の会社を訪ねた際、弟の暴力行為を何度か受け、その傷を見せて警察に相談したこともあります。

 ですから一応会社の高橋弁護士に、警察から電話があって、話があるから来て下さいというので行ってくる、と言うと『やめなさい、明日にしたらどうですか』、と言ってくれました。しかし私はどうしても弟が涙を流して、謝ってくれるのかと思って、警察に出かけて行きました。なにしろ弟は私との約束で、父からのお金を定期的に送金してくれる事になっていたにも拘らず、これを一方的に送金をやめ、私白身金銭的に非常に困窮しており、とにかく早く話をしたいと思って、警察に出掛けました。

  
 “仕置人”に資料を見せながら波乱の人生を語るM子

 1993年8月23日18時30分、麹町署2階防犯課に行くと、警察としては山崎係長と部下の2名のみでありました。この部下は以前弟から暴行を受けたとき、相談にのってもらった警察官です。約1時間ほどどこかへ電話をかけて問い合わせしているようでした。そのうち、ちょっと来て下さいと山崎に言われ、何処へ行くのかと間いたのですが、問いには答えず、しかしあくまでも任意であって腕を捕まえられ、強制的に連行されたものではありませんでした。

麹町署に停めてあった乗用車に弟と山崎及び部下の警察官、いずれも私服の運転手に連れて行かれました。何処に連れて行かれるのか分かりませんでしたが、着いてみると墨東病院と札が掲げられている病院でありましたので、父が入院している病院で、父に会わせてくれるのかと思いました。19時半頃、門が閉まっていて、多分麹町署から40分ほどかかったと思います。15分から20分ほど待たされました。その間弟は中に入って話をしていました。山崎と一緒に病院の廊下で待っていました。

そこで診察室に入れられ、中には看護婦、弟と、先生が1人いました。横になって下さい、というだけで、何を聞いても 寝て下さい、というのみでした。ヘビのような目の白衣の男が「血を採ります」ということで、3本血液をとられました、その後住射をされました。これは全員で押さえつけて採られたものでした。

 次に目を覚ましたら、病院に寝かされていました。着物は母のパジャマでした。これは伊勢丹の袋が横にあり、その袋は麹町署で弟が持っていたものと思われます。寝かされていたところは、保護室と呼ばれているところでした。私はその病院は達れてこられた墨東病院とばかり思い込んでいましたら、実は世田谷のアヤメ病院に移されていたのです。

病院の人たちの話によりますと、救急車で寝たまま運ばれてきたそうで、娘も付き添いで来ていたということです。私が入院中に、院長の荒谷先生が、私の話に一貫性があることを理解してくれて、両親、弟、妹、娘までか私の悪ロだけを言っていたと言います。しかし、特に母親がおかしいという事で、母や弟がウソばかり言っていることが分かった様で、弟と一緒に会うことを提案してくれました。そこで私の婚約者であるGの面会も許可し、翌日任意入院に切り替えてもらいました。

 荒谷院長は私に、任意入院に切り替えたので、何時でも自由に退院できる事と、弟を訴えれぱ99パーセント私が勝つことを確信すると言い、山本家には、アヤメ病院でも「院長の私も編された」、と大変悠っていました。すると、アメリカからGが来日するまでアヤメ病院が私を預かると約束してくれたのですが、11月7日に弟が荒谷院長の診断は認めない、だから他の大病院に移すとウソをつき、私を全日裁で戸塚ヨットスクールヘ運びました。その後私は戸塚校長から暴力を受けたりしましたが、苦労して逃げてきて、現在はGの元に居ります。

 <・・・私が精神病であるかないかということは、実は同年8月のはじめ、弟は『親に会わせてやるが、自分の相談している霊能師が、私に狐がついていると言うので、東京女子医大の精神科で診てもらいなさい。診てもらって何もなければ親に会わせるし、約束の金も支払うから、是非行って欲しい』と言われ、東京女子医大に行って精神科の吉増先生に、平成5年7月9日に診てもらいました。当然私の精神的な異常は何等発見される事なく、『むしろそのような事を言う弟さんが精神科に来るべきですよ』と伝言されたくらいでした。

 以上のような経緯が私がお話したいことであります。とにかく私が精神病であるという事を認めて、保護義務者を弟にした審判を早く取り消して頂き、私が頭のおかしな人間ではないという事をはっきりさせて頂けたらば、直ちに父母弟を相手方とする親子関係、、姉弟関係家族の調整をして頂く調停を申し込み、

弁護士を通じて円満に話し合いをしようと思います。勿論もし話し合いに応じなかったり、これをないがしろにする様であれば、やむを得ず弟に対し、私を監禁したという事で刑事手続きもとる事によって、本人が何をしたかという事の反省を求める手続きをとらなければいけないのではないかと思っております。一日も早く公正な裁判をして頂きたく、陳述の事実を記しました。以上>


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<第1回>精神病院から「助けて!」 【06/11/17】
<第2回>医療保護入院 【06/11/24】
<第3回>警察の拉致監禁 【06/12/01】
<第4回>実弟による拉致監禁(M子の「陳述書」) 【06/12/08】
<第5回>実弟がM子を戸塚ヨットに運ぶ 【06/12/15】
<第6回>病気ではない病気 【06/12/22】
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