栃木県足利“総会屋美術館”の栄枯盛衰(上)
故吉田茂首相をも脅した強者

 
 「栗田美術館」

 栃木県足利市に1975年オープンした「栗田美術館」は、いま“閑古鳥”が鳴いている。
 建設費130億とも言われるこの「栗田美術館」を開館するため200億円を集めたという。「栗田美術館」の主であった栗田英男は1912年栃木生まれだが、その経暦は判然としていない。その栗田が1947年4月に当時の民主党から代議士に当選、58年に落選するまで3期代議士を務めている。

 1947年初当選組みには田中角栄、中曽根康弘、石田博英らがいて、栗田は田中角栄を「田中角栄クン」と呼んでいたという。

 1953年の“只見川電源開発問題”では、当時の首相「吉田茂の陰謀を暴露する」と称して国会内に数百部のパンフレッをばらまいたこともある。とにかく栗田を知る人は“雄弁家だった”と異口同音にいう。そして“A級の総会屋”だったともいう。

 もっとも“総会屋”として名を馳せたのは1968年2月に露見した“日通事件”(後述)で、それまでの政治生活では衆議院の“経済安定委員会、検察官適格審査委員会、公正取引協会(常任理事)、自民党自立経済特別委員会(副委員長)”などに歴任し、コワモテの代議士として鳴らした。

 代議士当選時代に設立した「栗田経済研究所」が、後の栗田の“総会屋活動”の拠点となる。前記した“日通事件”は「日本通運」社長だった福島敏行ら幹部4名が、管財課長を手先として会社の金を私物化、横領したりしたもの。


1969栗田英雄が出版した
  『検査役の日通調書』

「栗田美術館」館長の林屋晴三

 当時「日本通運」の株主だった栗田は、事件が発覚して3ヶ月後に開かれた第55回の株主総会は大荒れだった。その時栗田は、商法238条の規定である“検査役”の選任を動議したところ可決され、自らが“検査役”に就任してしまった。

 その検査の結果を1969年にまとめたのが『検査役の日通調査』(B4判)で700頁近い布貼り上製本。これを大手企業に売りまくったという。なにしろ栗田の代議士時代の肩書きは企業にとってみれば脅威である。定価の無いこの凾入り上製本は値段など明記されていないのだから、ほぼ栗田の言いなりで企業は何十冊も押し込まれたことだろう。


 開館セレモニーに於ける栗田の雄姿

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