「テロ対策特別措置法」の期限切れで、インド洋での補給活動は中断したままで、現時点では新法成立のメドは立っていない。
2001年9月11日の、米国ニューヨーク多発テロへの報復作戦で、自衛隊が米軍を支援するための新法である「テロ対策特別措置法」を制定し、同年11月22日には自衛艦3隻がインド洋に向かった。
こんな日本外交史上極めて不本意な「特別措置法」が制定されるに至った要因は「ショー・ザ・フラッグ」(日の丸を見せろ)だった。
外務省としては「91年の湾岸戦争で受けた汚名を返上する」という意気込みで、総合外交政策局長の谷田正太郎を中心に、首相官邸の2階にプロジェクトチームを結成した。同時多発テロ以降の日本政府の方向を決める重要なチームだった。
この「汚名返上」の手法について議論が分かれていたところへ、谷田が「目に見える形での明確なプレゼンスが求められている」として持ち出されたのが米国務長官アーミ・テージと会談を終えたばかりの駐米大使柳井俊二から飛び込んできた「公電」のエッセンスであり、後に正式な「公電」で「ショー・ザ・フラッグ」の文面があったとされ、新聞やテレビもこれを報じた。
だがしかし、その後はアーミ・テージも「知らない」「言ってない」という“怪談話”になった。つまり、「そんな文面は存在しなかったのだ」ということになり、外務省の<捏造>説まで浮上した。
そんなことにはお構いなく、この「ショー・ザ・フラッグ」は一人歩きし、国会でも当時首相だった小泉純一郎は「テロ対策法審議」の中で「湾岸戦争時に金だけ出して血を流さなかった、という批判を受けたから、今後はそうならないようにしなければ」というような発言をしていた。
するとマスメディアまでもがその“受け売り”で「日本はお金だけだ、と国際社会から非難されている」と報道、ジャーナリストや評論家らも、「日本はお金だけだ、と国際社会から非難されている」としたり顔でコメントしていた。まさに「―犬嘘を伝うれば百犬みなこれにならって実を伝う」といったところ。
日本には、世界に誇れる平和憲法がある。自衛隊は“専守防衛”が任務で攻撃できない。だから、“基金”として湾岸戦争で1兆5000億円もの巨額な拠出金を負担した。世界のどこの国がこんな大金を出せただろうか。
「日本には“不戦を誓った”平和憲法がある。金だけ出して何が悪いのか」と胸を張ってコメントできる者はいないのか。
「ショー・ザ・フラッグ」が、「テロ特措法」制定に利用された“幻”だったとしたら、外務省は米国のための外務省でしかなかったと言わざるを得まい。
その外務省の担当課長から“仕置人”は91年の湾岸戦争の“拠出金”の「内訳」を入手していたが、その中に次のような“文書”があった。
<いわゆる湾岸戦争を契機とした、日本の四次にわたる国際社会に対する貢献については、各国とも高い評価と感謝の意を表してきている。 例えば、米国においては、ブッシュ大統領が1991年7月11日、ケネバンクポートにおいて行われた日米首脳会談の際の内外共同記者会見において、日本の貢献を評価する発言を行ったほか、アスピン国防長官が、1993年5月に米国議会に提出した「同盟国の防衛分担」報告書においても、「砂漠の盾/砂漠の嵐」作戦に対する日本の資金協力について積極的な評価が行われている。
また、クウェイトのジャービル首相は、海部総理大臣に対する書簡の中で、日本の同国に対する援助及びイラクの侵略を排除するための国際的な協力を高く評価し、日本に対して謝意を表明している。この他にもGC諸国、英国などから、日本に対する謝意が寄せられている。>(外務省資料より)
“仕置人”は外務省担当課長に「こうした資料は官邸にあげているのか」と質すと「全部あげています」と答えた。それでは、国際社会からのこれらの謝意を封印しているのは首相官邸であり、実態を調べようともしないジャーナリズムの救いようのない怠慢ではないのか。
大半を米国に持ち去られていたことを示す“湾岸平和基金”の明細
1990年8月2日のイラクによるクウェイト侵攻で、国連安保理は強く糾弾した。こうした背景のもとで日本政府は、同年9月21日に1,228億8,000万円の第1次から第4次までで1兆4,928億8,800万円の“湾岸平和基金”を拠出した。このデーターを“仕置人”が外務省から取り寄せたのは03年4月だったが本稿を書くにあたって去る11月19日に、再度外務省に確認したところ、「全部で141億ドルです」との答えが返ってきた。
この“湾岸平和基金”は今日まで130億ドルと言われてきたが、いつの間にかまた増えていて、国民はほとんど知らされていない。
それどころか、「100億ドル分しか外務省に受け取りの領収書がない」という話も伝わっていて真相は“ヤブの中”。
ここに“仕置人”が外務省から入手した4年前の114億ドルについての金の行先の“内訳”を示してみる。
この表でも分るように、いかに多くの基金が米国に流れたかがわかる。

湾岸戦争当時、米国大統領だったパパブッシュ
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2003年4月に外務省より入手した資料をもとに“仕置人”が作成した“湾岸平和基金”の供与国と金額の内訳 (クリックで拡大)
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