小沢一郎はどこまで米国に逆らえるのか

国民をペテンにかけている政治家たち

 去る8月8日、民主党代表の小沢一郎は、民主党本部で米国のシーファー駐日大使と初めて会談し、「アフガニスタンの戦争はブッシュ大統領が<米国の戦争だ>と言って、国際社会の合意なしに米国独自で始めた。日本の直接の平和、安全と関係ない区域に米国や他の国と部隊を派遣して、共同の作戦をすることはできない」と、11月に期限切れの“テロ対策特別措置法”の延長に反対する考えを表明した。


『朝日』(07・8・9)

 この日、報道陣が大勢押しかけ、小沢は報道陣の前で上機嫌だった。なにしろ、「参議院選で負けたら、責任をとる」と退路を断った選挙で大勝したのだから顔が自然とほころんでくるだろうし、報道陣も退去させずに大らかな笑顔でシーファー大使と握手してみせた。

 テロ特別措置法延長に反対する立場の小沢が、米国の駐日大使にあれほどの愛想笑いで迎えられるほど余裕があったということなのか。小沢とすれば民主党代表として勝ったのだから、あの独特の笑顔もあながちパフォーマンスだけでなく、“反対は表面だけで、結果的には延長になるよ”とエールを送ったように思えてならない。どだい7月29日の参議院選挙では、民主党の政策に共感したわけでも、将来に期待したわけでもなく、安倍政権の不祥事で自民党自らが陥没しただけのはなし。

 民主党が7月29日の参議院選にむけて掲げたマニュフェストは<政治とは生活である。国民の生活が第一>をキャッチフレーズにして、子どもに1人月額2万6000円支給する「子ども手当」や農家への「戸別所得保障制度」の創設など。これらに当てる財源は天下り禁止や特別会計の削減などで15兆3000億円を捻出する、という。確かに今年度で言えば一般会計82兆円に対し、表面に出てこない特別会計は362兆円。28の省庁が勝手に使えるこの特別会計に民主党は本当にメスを入れることができるのか。

 この秋の国会で民主党は「天下り根絶法案」を提出することになってはいるが、これとて“離職後5年間の禁止”という“思いやり”で5年が過ぎれば“天下りは自由”というザル法。
 現在でも民間企業へは“2年間の禁止”となっているが離職後すぐに「顧問」として手当てを受け、2年経過すると取締役に就任している。

 とくに役人は、特別会計の金で“財団法人”を設立して天下り先を確保しているが、民主党案では5年間天下りできないものの民間企業に「顧問」として“おみやげ付き”でいけば高い顧問料を受け取ることができる。
 この度、省庁による天下り斡旋を全廃し、「(株)パソナ」(千代田区・南部靖之社長)が“人材バンク”に選定されているが、「パソナ」が今年3月7日に“人材バンク”に決定した時点で、すでに元官房副長官の石原信雄を代表とする各省事務次官OBで構成する“助言組織”を結成、“改革官庁”である総務省大臣だった竹中平蔵が「パソナ」“特別顧問”に就任していた。

 これほどのデキレースに、さらに民主党前代表の前原誠司の「まえはら誠司友人たちの会」代表は「パソナ」社長の南部靖之だったというし、総理大臣安倍晋三までもが赤坂の“南部邸”に出入りしていたというのだから何をか言わんや。(『草野レポート』に関連記事)

前原誠司
民主党前代表の前原誠司

竹中平蔵が「パソナ」“特別顧問”に就任

「(株)パソナ」社長 南部靖之


軒を借りて母屋を乗っ取った“変節漢”小沢一郎

 田中角栄の強引さと金丸信の利権体質、そして竹下登の狡猾さ・・・、この三つの要素を兼ね備えた自民党的体質の“野心家”が小沢一郎という人物であることを知らねばならない。
 かつて姻戚関係にありながら竹下登に疎まれ、三塚博、梶山静六らと対立、自民党から30数名を引き連れて離党した。

 そして新生党を結成、細川内閣では闇将軍といわれたように、裏で策謀をめぐらし自社連立により、初の下野を味わう。その後の平成7年12月新進党党首に就任したが、12月には新進党を解党、小沢シンパによる自由党を結成、10年秋より自民党と自由党首との連立に転換、12年4月に連立を離脱した。

小沢一郎の仮面を剥ぐ
“仕置人”が発行していた『環境ジャーナル』(2003・11・10号)

 この間、側近中の側近だった中西啓介、熊谷弘と決別し、扇千景、二階俊博、野田毅らが離れ、30人以上だった小沢の自由党は22名となった。その22名の顔ぶれを見ても、自由党幹事長で元大蔵大臣の藤井裕久以外は、これといった議員がいない。自由党は、ただ痩せ細っていくばかりだった。

 一方民主党も鳩山由紀夫、菅直人の二枚看板は、も早や色褪せ、確たる自民党との対立軸も見出せないまま衆議院選に追い込まれそうになったことから、一度鳩山由紀夫で失敗した民主、自由両党の合併を模索、菅民主党になって再度合併を持ちかけられた小沢は、渡りに舟と飛びつき、「吸収されて結構だし、民主党の一兵卒となる」と殊勝なことを言って菅直人と組んで衆議院選挙を戦い、40名増という結果をもたらした。

 小沢一郎が自民党幹事長時代、衆院選のために300億円を財界から集めたエピソードもあったし、また小沢一郎事務所から2億5000万円が消えたこともある。これをまた事件にしなかったことからさまざまな憶測も飛び交った。
 1991年の湾岸戦争では、自民党が90億ドルの追加支援を決めたが、衆議院は絶対多数で通過したものの、参議院は逆転で野党が多数、90億ドルを支出するために提案する90年度二次補正予算は、憲法の衆議院議決優先規定があるので、参議院が否定しても成立させられないことはない。しかし補正予算とセットになる臨時増税法案と、つなぎの短期国債発行のための特例交際法案は、参衆両院で可決させなくてはならない。

 小沢一郎は「90億ドルの約束が果たせなかったら下野するしかない」と切迫感をつのらせたが、結果的に公明党が賛同、ここで当時公明党書記長の市川一郎との関係を“イチイチライン”と呼ばれた。
 こうしてトータルで130億ドルを国連に支出した。日本円で言えば1兆5600億円のうち、1兆3600億円が米国に流れた。これに対して当時の駐日米国大使のアマコストは小沢一郎の政治手腕を絶賛、小沢にキックバックされた金は数百億円という噂が流れた。

 1991年も衆議院は与党が多数だったが参議院では野党が多数だったことから、現在と酷似している。小沢は「テロ特別措置法」の延長が成立するだろうことは百も承知の“反対”なのである。


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