初代環境庁長官・大石武一(4)“石原慎太郎に崩された”方針


環境省の入る合同庁舎5号館

 昭和47年7月7日、田中内閣誕生とともに環境庁長官の椅子から去る。ここで、これからの環境庁と環境行政についての意見を聞いた。

「うん、まあ環境庁の土台はつくったと思う。とくに水俣病対策はうまくいった。患者もたくさん診てもらえるようになったし、一斉検診も順調に進んだ。ところが石原慎太郎が長官になった時に、わたしの方針が崩された。わたしは新聞記者に対し、代議士などが来た時は遠慮してほしいが、それ以外は、陳情の時でも、どんな時でも自由に出入りしていいよ、と長官室をオープンにした。環境行政そのものを国民に開かれた形にしようと思ったからだ。ところが石原は、記者とケンカして出入禁止にしてしまった。それと、水俣病の認定条件を、2〜3項目追加して(患者認定の)間口を狭め、難しくしてしまった。わたしは何よりも患者優先の考え方に立ってやったし、会社側との話し合いも円滑に進んでいたが、それ以来環境庁と患者との糸が切れてしまった。それから大島理森が長官の時、役所の権限でわずか261万円の一時金で処理してしまった。今後2度と蒸し返さない(国家賠償請求など取り下げる)ことを条件にしてね。まるで口封じだ。貧乏して、仕事もできないことが分かっているのに、あれは悪いねえ、ひどい話だ」

 大石武一のような国会議員は利権にありつこうともせず、虚心坦懐に国民のために活動した希有な存在。そして最後に、地球温暖化や環境行政について尋ねると次のようにしめくくった。

「昔の公害は1個人、1企業、1つの国が努力すれば解決できたが、いまや地球規模の問題になった。いまの政策じゃ、いろんな有害汚染物質が溜まっていくだけだ。すべてが一時しのぎ的政策だ。とにかく、今日ほど日本の政治が堕落し、スケールが小さい時代はないと思う。わたしは50年以上政界を見てきたが、今ほど役人と政党が結託していて、不潔な時代はありませんよ。それとね、環境問題は、あらゆる行政に関係している。だから、わたしは以前から言ってきたことだが、環境庁長官というのは副総理ぐらいにしなきゃいけないよ。それにふさわしいポストにして、ふさわしい人材を据えるべきだ。それぐらいしないと、環境問題に真正面から取り組んではいけないし、日本の環境行政もしっかりしていかないよ」

 たった1年の長官在任期間だったが、大石武一は意義ある仕事を成し、平成15年10月19日に死去した。享年96歳だった。

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