| 「大規模地震対策特別措置法」のきっかけ |
〜元静岡県知事・山本敬三郎を訪ねて〜 今から10年前の1月17日午前5時46分、淡路島から阪神地域にかけて地面が大きく揺れた。この大震災での犠牲者は6,433人、全半壊の家屋は25万棟。“仕置人”草野が、本稿を書いている今日は、ちょうどその10年目の1月17日。あの阪神大震災のあとも、広島、愛媛や北海道、そして新潟、スマトラ沖大地震と続いた。わが国の内陸部には、2000もの活断層がある。その他にも潜在的な断層は4倍もあるといわれている。 伊東市の伊豆高原別荘地に居を構えている山本敬三郎は大正12年生まれ。山本は東大経済学部卒で、福田赳夫が総理大臣時代の参議院議員で大蔵政務次官の職にあった。その後静岡県知事として12年間務めた人物。 “仕置人”が山本を訪ねたのは平成14年9月半ばで、きっかけは同年9月1日の防災の日に、鳥取県知事の片山善博が、テレビに出演していて「静岡県の山本敬三郎前知事が、地震の法律を作るのにご苦労されて・・・」と言っていたのを聞いたからだった。 こころよく招き入れてくれた山本の書斎は書棚に入りきらない本が床に山積みされていて、思い出すように「大規模地震対策特別措置法」の誕生について語ってくれた。 「あれは、昭和53年だったかなあ」と一息入れると「東海地震は遠からず必ず来ると専門家も言うし、そうなればいちばん被害を受ける静岡県として黙ってるわけにいかず、当時自民党幹事長だった大平(故人)さんを訪ねたんだ。そこで県としての対応策も色々検討してますが、法律が無いため、どうしようもない。是非、私が動きますから、党としても十二分に応援して下さいよ、とお願いしたところ太平さんは、こと天災のことだからいいじゃないか、協力するよと言ってくれてねえ」と当時を懐かむように目を閉じた。 「ところが国土庁の役人は、官邸すじが反対するというんですね。そこで私は当時の福田総理にお目にかかりましてね、“総理は先ごろ人命は地球より重いとおっしったじゃないですか”と言った」のだという。 「お前さん、本気でやるんだろうな」と福田に念を押された山本は「私は死にもの狂いでやります」と言ったところ福田は「官邸には反対させないよ」と納得できる返事をもらったのだという。 ところが大蔵省主計局は、法律を通せば予算をつけることになるので反対した。そこで山本は「私は主計官をダマシましてね、金をくれというんじゃない。県としても法律の裏付けが無くては活動する余地が全く無いんだ。だから反対しないでくれ」こうして「特別措置法」と補助金を出すための「財政特例法」の二つを成立させた。 「一方で私は、田中(角栄)の親父さんの力を借りて蔵相だった竹下さんを押さえてもらった。 それで地震避難対策の学校の耐震化、避難路整備、津波対策の海外堤防策など、国、県、市町村合わせて1兆5000億くらいの地震防災事業を実施できるようになりました」この「特別措置法」を通すために自民党幹事長、総理大臣らに直接掛け合い、予算を握る大蔵主計局を説得するために田中角栄から蔵相の竹下を押えてもらったという山本の政治力は見事だが、ここには、政府が地震対策に積極的でなかったことも、今となっては反省し新潟地震やスマトラ沖地震を“対岸の火事”にしてはならない。 |
![]() 山本敬三郎宅の書斎にて |
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